5年生の時(福岡の住吉小学校から)春日小学校に転校した。3回目の転校だった。
熊本で最初に住んだ家は仏舎利塔の立つ花岡山(標高130メートル)の中腹にあって、アメリカ人の家族が住んでいたという白いブロックの家だった。水洗トイレが珍しくて何度も流したり絵に描いたりした。物置に残されたままの箱や瓶のラベルを見て「これは洗剤だな、これは殺虫剤か、これはお酒、これは肉の缶詰・・・」などと言う父に「英語が読めるんだー」と感心したことを思い出す。綺麗な瓶に入っているオレンジリキュールとかペパーミントなどの甘くて強いお酒を舐めさせてくれて、生まれて初めての味や匂いに感動した。二軒あった白いブロックの家のもう一軒にはまだアメリカ人が住んでいたけど、まもなく引き揚げて行った。戦後10年頃だった。
学校までは坂道を下って20分ほど歩いて行った。学校のすぐ近くに公子ちゃんという友達の家があって、大きな材木屋さんだった。少女雑誌や漫画を貸してくれたので学校の帰りに時々遊びに行ったり校庭に戻って一緒に遊んだりした。少し髪が縮れて八重歯が可愛い女の子の顔を覚えている。
夏休みの自由研究で「花岡山の植物採集」をした。採ってきた雑草を新聞紙に挟んで重しをして、乾いたら細く切った紙で画用紙に留めて、図鑑で調べて、名前と採集した日付と場所を書き入れた。ツユクサ、スベリヒユ、オオバコ、メヒシバ、オヒシバ、カヤツリクサ、エノコロクサ、キンエノコログサ、イヌタデ、オオバコ、ヒメジョオン・・・市のコンクールで表彰されて熊本城辺りのどこかに保管されたとかで、返してもらえなかった。
67年振りに行ってみると、熊本駅の新幹線口から歩いて5分ほどだった。運動場ではユニフォームを着た小学生が野球の試合をしていた。向こうに見えるのは体育館。あそこで、卒業生を送る「送辞」というのを読んだ。6年生で「答辞」を読んだのは男子だったのがちょっと悔しかった。
次に来たら、花岡山に登ってみよう。