気温が一気に34度に上がった。一昨日の最低気温との差が27度もある。ぐったりして帰って来ると、思った通り桑の美が熟れ始めている。口に入れると甘くてキュッと新鮮。
熟れた順に毎日少しずつ摘むのは大変だけど、パラパラとこぼれ落ちてしまうのは勿体無い。
気温が一気に34度に上がった。一昨日の最低気温との差が27度もある。ぐったりして帰って来ると、思った通り桑の美が熟れ始めている。口に入れると甘くてキュッと新鮮。
熟れた順に毎日少しずつ摘むのは大変だけど、パラパラとこぼれ落ちてしまうのは勿体無い。
マウントバーカーの外れ、ユーカリの林と牧草地と葡萄畑が広がるなだらかな丘を登りつめた所に「ジュリーク」の小さいコンサートホールが建っている。すっぽり田舎の風景の中だ。この辺りの土地をアボリジニの言葉で、ナリンガ(Gneringa)という。
「ジュリーク(オーガニックの化粧品会社)」は、ドイツ人のヨーガン博士と奥さんのウーリカが、このナリンガの地で今から25年ほど前に始めたものだ。可愛い4人の子供達は皆ウォルドルフ・スクールに通った。広い広いハーブ園があって、化粧品に使うエッセンシャルオイルを作っていた。「ジュリーク」はどんどん大きく有名になったけれど、そのうちヨーガンとウーリカは離婚して、会社は(ほとんどが)誰かに売られてしまった。しかし、音楽好きのウーリカは、創立の頃からの月例コンサートを今も守り続けている。若手の有能な音楽家を援助したり、アデレードに演奏に来る有名な音楽家達を呼ぶ「力」もあるみたいだ。
説明が長くなったけど、今日は何年か振りに「ナリンガ・コンサート」を聴きに行って楽しい午後を過ごした。ウーリカだけでなく他にも何人かの懐かしい顔に会った。
今日のコンサートは、バッハ、テレマン、ヘンデル、エマニュエル・バッハの曲で、ハープシコード、バロック・フルート、バロック・バイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏に、ソプラノの歌唱が加わった。一番前の真ん中の席に座って美しい音楽を聴いていると、ゆったりと気持の良い時間が流れた。
インターヴァルには、この地域で生産されるパリスクリークのチーズやナリンガ・ワインやサンドイッチやケーキなどの素晴しいアフタヌーン・ティーが出た。〈ウーリカの息子のエリンがこのすぐ近くでワイナリーを経営している。〉
コンサートホールから、羊の親子が見える。
オーストラリアで作られたチェンバロ(蓋の裏にオーストラリアの風景画が描かれているけど、写真によく写っていない。)
マウント・バーカーにあるタイ料理のレストラン (Lai Thai) でお昼ご飯を食べた。ちょっと甘い味付けの焼きソバ(Pad Thai) が9ドルでとても美味しかった。米の粉で出来た平たい麺と鶏肉はしっかり炒めてあって、もやし、ネギ、人参、ピーマンとハーブは生に近いサラダ感覚。砕いたピーナツがたっぷりかけてある。けっこう多い量を全部食べた。
壁に掛けてある「絵」は、実は「窓」だったそうだ。なるほど、真ん中から左右に開くように出来ている。ちょっと古い時代のものらしい。窓を閉めると絵が見えるというのは、襖みたい・・・。
♬ メダカの学校は 川の中 そうっとのぞいて見てごらん・・・この懐かしい歌を、春になってから3年生に教えている。生徒達と一緒に歌うと、川でメダカを掬って遊んだ頃を思い出す。
昨日「姫路ガーデン」に遠足の下見に行ったことを話すと、「姫路ガーデンの池には30年前に姫路から持って来た原種に近い貴重なメダカがいるんですよ」というメールを梅原さんから届いた。日本の最近のメダカは(放流が原因で)雑種化しているのだそうだ。また「イギリスを中心に世界中でメダカに人気があって、メダカの売買も盛んです。当然、公園などから盗むということも盛んです。」だって。ふう〜ん。
「メダカの放流を止めよう」という論文(清水孝昭さん)のサイトも送って下さった。メダカの放流なんて、やっていることさえ知らなかったけど、グーグルで検索すると、何と何と80ページもに渡ってい〜っぱい出ている。賛否両論があって、なるほど、なるほど、と驚いたり感心したり。
(写真はインターネットから)
アデレードの街は四方をぐるりと公園に囲まれていて、その南側の公園の中に、こじんまりした「姫路ガーデン」がある。5年生の遠足の為の下見に行ってきた。出来た頃に比べると、30年の年月が経った分だけ落ち着いてなかなか良くなっていた。
門を入ると、獅子脅し、灯籠、飛び石、蓮池、築山、石庭などがあり、植物も、竹、松、南天、銀杏、柳、椿、アヤメ、桜・・・と、姫路から庭師さんが来て作られただけあって、確かに日本庭園だ。手入れも行き届いているし、とても静かだ。石庭に向かってずっと瞑想(zen?) している人がいた。
アデレード市と姫路市が姉妹都市になったのは1982年。南オーストラリア州と岡山県が姉妹都市提携をしたのは1993年。