出汁昆布、早煮昆布、刻み昆布、なっとう昆布、とろろ昆布、ひじき、焼き海苔、かんぴょう、それに数冊の本。無いものは欲しがらないな〜んて言いながら、雪子さんからの小包は嬉しい。有難い!
さっそく温かいうどんに、とろろ昆布を載せて食べる。美味しい!明日は「おでん」にしよう。
出汁昆布、早煮昆布、刻み昆布、なっとう昆布、とろろ昆布、ひじき、焼き海苔、かんぴょう、それに数冊の本。無いものは欲しがらないな〜んて言いながら、雪子さんからの小包は嬉しい。有難い!
さっそく温かいうどんに、とろろ昆布を載せて食べる。美味しい!明日は「おでん」にしよう。
中勘助「島守」の「十月五日」の最後のところ。
「夢。ひとりの爺さんが右手に細いはけをもって左手におとなしくとまってる鳩の頸や肩のへんを鳩羽や紺色に染めてゆく。そうしておくとその色の羽根がはえてくるという。そばに桃色鸚哥が木の枝に嘴をひっかけてぶらさがっていた。」
オーストラリアでは(夢の中じゃなくて)その辺の草原にいくらでもいる普通の鳥だ。アボリジニ語で「ガラー」と呼ばれている。夫婦仲が良くて交代で卵を抱くそうだ。あまり人を怖がらない。この写真もテニスコートのそばで2メートルほどの距離で撮った。
母の好きだった水仙が咲き始めた。14年前、母が逝ってしまったあとも病室に香っていた。緑面積のあちこちに植えた球根は毎年花を咲かせる。菫が咲き始めるとハワードの優しい微笑を思い出す。もう2年になる。私が手首の骨を折ってどこへも行けなかった時、海に連れて行ってくれた。”Burgundy Street Blues” の歌詞を正確に聞き取ってくれた。さすがアメリカ人。椿は22年前に別れた人に貰った。枯らしたと思っていたら小さいのが咲いている。シクラメンは娘を亡くした私を慰めるためにジェレミーとジュリーが持ってきてくれたもの。ひと回り大きな鉢に植え替えておいたら、ひとまわり大きくなって花を咲かせている。
緑面積を見回わりながら、物思いに耽ってしまった。
最近の読書は寄り道ばかりしていている。「銀の匙の授業」っていうのはこういう読み方かもしれないと思う。『銀の匙』を再読したいけど、その前に他のものも読んでみたい。
青空文庫で「妹の死」「母の死」「結婚」「島守」「小箱」「秋草」などの、短い文章を読んでいく。どれも良い。言葉が沁みてくる。「妹の死」と「母の死」では涙を流して泣いた。「島守」は詩のように美しい。次に「きもの」を読む。
「私」は、飛田という一高時代の友人に10数年ぶりにバッタリ出遭う。それから飛騨のお母さん、奥さん、幼いお嬢さんも交えての親しいお付き合いが始まる。それから「・・・間もなく飛田はそのお揃ひのひとへを経帷子にきかへた」というさり気ない言葉。飛田さんという友人は誰なんだろう?「昔の小馬は今を時めく貴婦人となり・・」という飛田の娘さんは?「秋草」の美しい女性はもしかして飛田さんの奥さんでは?
少し調べてみると分かった。友人の名前は江木定男、その奥さんは万世子さん、娘は妙子さん。鏑木清方の「築地明石町」のモデルは万世子さんだった。別々のものだった中勘助と「築地明石町」が1ヶ月のうちに結び付くなんて!
そのことを杏吾ちゃんに話すと、”Connecting the Dots” という言葉を教えてくれた。それも調べた。スティーブン・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式に招かれてスピーチをした時の言葉だ。
最近は、知らないことを知るのが楽しくて仕方がない。中勘助「島守」を読んでいると「・・本陣は少しばかりの焼酎に酔い猩猩みたいになって」というところで、「猩猩」って何だろう、と知りたくなる。
調べると「中国の架空の動物で、人に似ていて人語を話し、お酒好き。大酒飲みのことを言うこともある。能の「猩猩」は有名だ」と書いてある。ふ〜ん、そうなのか、お話の中に出てくる架空の動物なんだ。じゃあそのお話を知りたいな。
また調べると、粗筋はこうなっている。楊子江のほとりに親孝行な「高風」という男がいて、お酒を売ると多くの富を得るというお告げを夢の中で得る。お酒を売り始めるとお告げの通り繁盛する。毎日お酒を買いに来る人がいて、いくら飲んでも酔わない。名前を聞くと水の中に住んでいる「猩猩」だと言う。月の美しい晩に水のほとりで待っているとその「猩猩」が現れて、いっしょに楽しくお酒を飲み交わす。「猩猩」は「高風」の親孝行を褒め、汲めども尽きない酒壺を与えて去る。汲めども尽きない酒壺って「おむすびころりん」の米俵や「山姥の錦」の布みたいだなと思う。
それからYoutube で能の「猩猩」をじっくり聴いて観て、また「島守」に戻る。
きっかけはクロスワードパズル。タテ29のカギは「・・・・頃は六月中の頃 夏とは言えど □□□□□ 木立の森もいと涼し」 だった。最初の文字は「カ」最後の2文字は「ナカ」と分かっていても、知らないものはどうしようもなくて、お手上げ。答えは「カタイナカ」で、『壷坂霊験記』というお話の最初の部分だった。
今更、自分の無知を嘆いても仕方がない。いつものようにインターネットで勉強する。『壷坂霊験記』の人形浄瑠璃を観て、歌舞伎を観て、それから浪曲を聴く。浪曲なんて聴いたことはただの一度もない。
浪花亭綾太郎という人の声を聴きながら、一緒に唸ってみる。声の出し方も節回しも間の取り方も独特で難しい。でも繰り返しやっているうちに少しずつ、それらしく言えるようになってくる。「妻は夫を労りつ」なんて唸っている自分が不思議で可笑しくて笑ってしまう。しかし何と言っても、初めてのことは楽しい。
「妻は夫を労りつ夫は妻に慕いつつぅぅ 頃は6月中の頃ぉ 夏とは言えど片田舎ぁぁ 木立の森もぉぉいとぉ涼しぃ 小田の早苗も青々とぉ かわずの鳴く声ここぉかしこぉ・・・」