「六地蔵窯」という名前で焼締陶をやっておられるお宅で、寺田本家の酒粕入りチーズケーキというのを頂いた。口の中で麹の香りがふくよかでとても美味しい。緑茶に良く合う。酒粕とチーズの組み合わせを最初に思い付いた人は素晴しい。
能楽堂に行って能を観るのは初めてで、何もかも珍しかった。
仕舞「芭蕉 キリ」は、紋付袴で扇を持った人の舞いに(説明書にある)内容を見ることがまったく出来なかった。ひとつひとつの動きの意味を知れば分かるのかもしれないけれど、今回はさっぱり。
狂言「米市」は、お話がはっきりしていて分かり易く、可笑しくてちょっと哀しい。
「山姥 雪月花」は、「能の魅力すべてが詰まった、究極の作品のひとつ」だそうだ。退屈はしなかったしそれなりに面白かったけど、う〜ん、見ただけ聴いただけ字幕を読んだだけでは奥の深さは分からない。
家に帰って、「明日は買物に、参ろうぞ、参ろうぞ。」とか「これはまた、いかなる酒にて候〜や〜。」などとお腹から声を出して言ってみても、妹はぜ〜んぜん乗ってくれない。
良い経験だったけど、私は能よりも文楽のほうが好きだ。
京橋にある「国立フィルムセンター」には、無声映画時代の映写機や古いポスターなどがいろいろ展示してあって、日本映画の歴史が分かるようになっている。図書室もあるし、大小のホールでは映画を見せている。11月と12月は香川京子さん出演の映画を連日(40本も)上映していて、シニア料金は300円。
香川京子さんの映画は4本(近松物語、銀座化粧、東京物語、阿弥陀堂便り)しか見ていないし、ファンというのでは無いけれど、原節子さんよりも田中絹代さんよりも私は好きだなあ。好みっていうのは説明が出来ない。
コーヒーを飲んでいると、「クッキーでも食べる?」と出された正方形の白い缶。見た途端その美しさに惹き付けられる。丸や四角の模様が僅かに浮き出ていて素敵なデザインだ。蓋を開けると小さなクッキーがモザイクみたいに詰めてあり、これもまた絵のように美しい。眺めているうちにクレーの絵を思い出す。食べると舌の上でそれぞれに美味しい。“Henri Charpentier”と書いてあるのはお菓子屋さんの名前だろうか。
学年最後の2−3日は、父兄や生徒達から小さなプレゼントをいろいろ頂く。手作りのお菓子やチョコレートやローソクなど。「一年間有り難う。メリー・クリスマス。夏休みを楽しんで。」というようなカードが添えられている。7年生のマラカイ君からの思い掛けないプレゼントが机の上に置いてあった。「Midori はこの絵が好きだと言ったから、プレゼントします。」というメッセージが破り取ったノートの切れ端に書いて添えてあって感激する。
忘れていたけど、8月頃にこんなことがあった。7年生の教室に行くと、キャンバスにアクリル絵の具で描いた世界地図が何枚も壁に貼ってあった。7年生はルネッサンスのことを勉強していたから、その時代の地図だと思う。「どれも綺麗だけど、これは誰が描いたの?」「あ、それは僕のだ。」意外にもクラスでも一番か二番に態度も成績も悪い男の子が答える。「綺麗な色ね。私はこれが一番好きだわ。」「じゃあ、あげるよ。」「生徒の作品は貰えないわ。自分で大切にとっておかなくちゃ。」
林の中の「小さい学校」は30年以上平和だった。20エーカーの敷地に教室が点在していて、たいした仕切りや塀も無く学校の外側には広い牧草地とユーカリの林が続いていた。四季折々に学校の中も外も綺麗だった。
ところが去年だったか、マウントバーカー町が「このあたりを住宅地にする」と決めてからは、あれよあれよと言う間に木が切り倒されブルドーザーが入り道路が出来、不動産屋の看板が立ったかと思うと宅地が次々に売れてモダンな家が建ち始めた。学校の敷地内は緑豊かでも、周りの自然が無くなり環境が変わってしまうのは本当に残念。まるで、バージニア・リー・バートンの「ちいさい おうち」みたいだ。
学校の周辺だけでなく、このところマウントバーカー町の発展は凄まじい。反対運動も空しく、大きなショッピングセンターや映画館が出来、人口も急増して下水や病院などが追いつかないと言う。