帰ってきた日が43° だったので、次の日の31° はむしろ涼しかった。今日は37° で、明日からはまた、40° 、42° 、43° と暑くなる。毎日が快晴で、見渡す限りのまっ青な空に太陽が強烈だ。押しも押されもしないアデレードの夏。
清美さんが何十年も織物をやっているのは知っていても、展示会に行ったのは初めてだった。表参道の小さなギャラリーで会う清美さんは、お酒を飲んでいる時と違って、背筋がピンと伸びてキラキラしていた。
展示会に来るお客さんの中には織物をやっている人達も多い。「縦糸をこんなふうに使って・・・織り方を教えますよ・・・これは手紡ぎの糸です・・・枇杷の葉で染めました・・・絹糸をゆるく混ぜて」と、質問に答えている清美さんを、私はソファーでお茶を頂きながら楽しく眺めていた。
壁掛けやバッグに仕立てたものも素敵だけど、欲しいのは実用的なマフラー。どれも色が綺麗で、迷っている間に良いのが売れてしまったりした。結局、買い求めたのは手前のテーブルの右側にある黄緑のもの。そして雪子さんへのプレゼントには、濃い緑のもっと長くて厚いものを。
とにかく大きくて立派な美術館だ。長い長いエスカレーターを乗り継いで、上へ上へと昇って行くと熱海の海が見える。能楽堂あり、秀吉の黄金の茶室(レプリカ)あり、尾形光琳の屋敷(レプリカ)あり、国宝の屏風や壷があり・・・と、豪華だ。特別展は広重の「東海道五十三次」と地味だったからか、梅の季節にちょっと早かったからか、館内は空いていた。
熱海の海岸で、ふたつの銅像を見た。「貫一とお宮」の銅像は前にも見たことがあるけど、物語はうろ覚えだ。ダイヤモンドに目が眩んだお宮が貫一との婚約を破棄する、というものだったと思う。しかし女性の気持がそんなに単純なはずは無い。きっと何か深い事情があったに違いない、とお宮に同情するけれど、『金色夜叉』を読み返してみるしか無い。
「釜鳴屋平七」という人の銅像は、説明書きを読んで胸を打たれた。幕末にあった網元たちと網子たちの紛争の時、平七は網元の側から抜けて、不当な扱いを受けている網子の側に立ち、漁民一揆を組織した。むしろ旗を立てて代官所に直訴したために捕えられて、島流しされる途中で(拷問と衰弱て)死んだという。なんと35才。
祇園でバスを降りて現代美術館「何必館」は徒歩二分のはずなのに、四条通りを歩いていて見過ごしてしまった。引き返してみると目立たない入り口の小さい美術館で、ロッカーも喫茶店も売店も無い。しかし展示場はたっぷりの空間が取ってあり落ち着いた雰囲気。5階に小さな庭と和室がしつらえてある。
「没後45年 山口薫 展」を見た。やっぱり実物は生き生きしていて美しさが違う。見たかった作品の展示が無かったのは残念だけど、その代わりインターネットでは見られなかった素敵な作品を何枚か見ることが出来た。山口薫のほとんどの作品が好きだ。明るい色使いのものでも何かしら哀しさのようなものが感じられるのは私の思い込みかしら。
地階は北大路魯山人の展示室になっている。花瓶や和食器の、実物を見たのは初めてだった。