ただの菜っ葉と言えばそれまでだけど、これはケールだ。いろいろなケールの中でもこの「ロシアン・ケイル」がいちばん好き。茎は硬いので緑の葉っぱだけを、ジュースにして、スムージーにして、炒めて、スープに入れて。でも蒸すのがいい。広い葉っぱを切らずにさっと蒸して、オリーブオイルも塩もレモンも何も要らないぐらい。蒸したてをそのままむしゃむしゃ食べて「いケール」のだ。柔らかさと甘みを味わう。少量のチキンソテーとマッシュト・ポテトを添えたりする。逆でもいいけど。
ただの菜っ葉と言えばそれまでだけど、これはケールだ。いろいろなケールの中でもこの「ロシアン・ケイル」がいちばん好き。茎は硬いので緑の葉っぱだけを、ジュースにして、スムージーにして、炒めて、スープに入れて。でも蒸すのがいい。広い葉っぱを切らずにさっと蒸して、オリーブオイルも塩もレモンも何も要らないぐらい。蒸したてをそのままむしゃむしゃ食べて「いケール」のだ。柔らかさと甘みを味わう。少量のチキンソテーとマッシュト・ポテトを添えたりする。逆でもいいけど。
京都からうちの学校に来ている高校生たち10人は(引率の先生によると)そろそろ日本食が恋しくなっているらしい。「じゃあ、最後の晩のミーティングは、良かったら私の家でどうぞ。」と頼まれもしないのに言ってしまう私がいる。
こういう時は簡単なものでも喜んで貰える。おにぎり、がめ煮、コロッケ、味噌汁、たっぷりのサラダ、ルバーブのタルトと果物。思った通り、もりもり気持良く食べてくれて、あっという間にお皿もコップも、鍋までも洗ってくれた。暖炉の前でくつろいで、誰かがギターを弾くと皆が歌い出す。「コスモス」という歌のハーモニーが美しい。男の子が立ってひとりで不思議な歌を歌う。「砂埃はこぶつむじ風 洗濯ものにからまる・・・ 昼間の空の白い月・・・」素直で素敵な高校生たち。君たちは美しいよ。人生の中の一瞬。
ありがとうの寄せ書きを残して去って行った。「サヨナラだけが人生」で時が流れて行く。長田弘の言葉では、「人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る状景の集積だ。」
学校の集会で日本の歌を披露している彼ら
裏庭に出ると、空気がふっくらしている。好きなだけ伸びた雑草たちがいっせいに声をかけてくる。「おはよう!」「やっと出てきてくれたのね!」「待っていたのよ!」「とっくりセーターなんか着てないで、ティーシャツに着がえておいでよ!」「朝ごはんは庭で食べるんでしょ?」「私たちといっしょに!」
コーヒーとパンとサニーサイドアップの目玉焼きとグレープフルーツと洋梨を持って来て庭の隅のベンチにすわると、鳥たちがさえずり始める。モンシロチョウがすぐそばまでやってくる。スミレやサワソッブスが囁く。「美味しい?」「うん、美味しいよ」「静かでしょう?」「うん、静かだね。」「今でもこの庭が好き?」「もちろんよ。」