帰ってくると小包が届いていた。小さなタッパーが3個(輪ゴムなんかじゃなく)三色の紙のリボンで結んである。ちょっとしたセンスと心遣いがさすが雪子さんだ。ちりめんじゃこの佃煮、紫蘇ひじき、そして何と、蕗味噌だ!
帰ってくると小包が届いていた。小さなタッパーが3個(輪ゴムなんかじゃなく)三色の紙のリボンで結んである。ちょっとしたセンスと心遣いがさすが雪子さんだ。ちりめんじゃこの佃煮、紫蘇ひじき、そして何と、蕗味噌だ!
実在した人(女性なら尚更)を描いたものには興味をそそられる。ハンナ・アーレントという人は、アメリカで活躍したユダヤ系ドイツ人の政治哲学者だそうだ。「活動的生活」とか「革命論」とか、思想の内容は難しくてよくは分からないけど、映画は良かった。
アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、「アイヒマンは命令に忠実に従ったごく普通の人。ナチに協力したユダヤ人もいた。」というような文章を発表したので反感と非難を浴びた。そこのところが映画の中心になっているけど、その他にも若い頃のこと、師弟関係、友人関係、恋人や大学の講義なども織り込まれていて、なかなか楽しめる映画だった。
本当のアイヒマンが裁判で「命令に従っただけ」と質問に答えている録画が使ってあるのがリアルだ。
脚本と監督はマーガレーテ・フォン・トロッタ という女性で、バルバラ・スコヴァという女優さんの演技は凄い。
インド洋を航海中のヨットが 、浮遊していたコンテナに衝突して大きく破損する。生き延びる為の死ぬか生きるかの孤独な闘いを、ロバート・レッドフォードが一人で無言で演じている。演技は素晴しい。音楽も良い。迫力もある。海は綺麗だ。
でも・・・77才で、あれだけタフでカッコ良くて凄いなあ・・・などと思いながら映画館の椅子に座っている自分が居て、闘っている人との「気持の一体化」がイマイチうまく出来なかった。退屈したと言うわけでは決して無い。ヨットで一人航海なんていう冒険は自分がやりそうも無いことだからかしら?
カミール・クローデルは、たぐい稀な才能を持った美しい女性だった。19才でオーギュスト・ロダンの弟子になりモデルになり愛人になり、30年間を芸術と愛に激しく生きた。ロダンの子供を中絶し愛に破れ、やがて精神を病んでいく。亡くなるまでの30年間を精神病院に閉じ込められたままで過した。(最初の二枚の写真は本物のカミール・クローデル。)
25年ほど前に映画を見た時は、それまで知らなかったカミール・クローデルという若い女性の情熱的な生き方に衝撃を受け、主演女優(イザベラ・アジャーニ)の美しさに目を見張った。
今度見た「カミール・クローデル 1915」は、精神病院に入れられてからのカミールを、ジュリエット・ビノーシュが演じている。ほとんど色彩の無いモノクロに近い映像とスローなカメラは、彼女の心の中そのものだ。しかしどの一枚も美しい写真だ。
寂しさと辛さと腹立たしさが極限に達し耐えられなくなると彼女は(たぶん、それ以上は狂わない為に、自己防衛の為に)静かで清らかで恐ろしい諦めに身を任せていく・・・彼女の諦めが、ひたひたひたと私のところまで押し寄せてきて、私の胸を浸してしまって、もう涙も出ない。
職員会議でリネット先生が15分間、中学生の理科の授業をしてくれた。
ボンベからシューッと出てくる水素に火を付け、その上にビーカーをかざすと水滴が出来た。ははーん、水素と酸素で水が出来ると納得する。あとで息子にその話をすると、「それが水だとどうして分かるの?」と言う。でもリネット先生がそういうから私は素直に信じる。
ボンベから出てくる水素を石鹸の幕に吹き付けると水素のシャボン玉が次々に出来て、どんどん上に上がって行く。そうか、水素は軽いんだ。そのシャボン玉に蝋燭の火を近づけるとボッと音がして明るく燃える。水素は燃えるんだ。炭酸同化作用で酸素と塘分が出来る。糖分、アルコール、エーテル・・・の説明まで無かったけど、話し合いばかりの職員会議よりはうんと楽しかった。
『図書』に連載されている回想記「ひたすら つづらおり」を2年以上も読んでいるのに、金時鐘という人の詩を読んだこともなく、どんな顔の人かも知らなかった。
3月号を開くと「遺稿『四・三の真実』」という見出しが目に飛び込んできた。もしや亡くなられたのでは!と思ったのは私のいつもの早とちりであった。「遺稿」というのは、弾圧側の警備隊連隊長だった金益烈が四・三事件の真相について書き残した遺稿で、その遺稿に触れて金時鐘が書いていると言うわけ。
金時鐘をネットで検索しているうちに『悲劇の島チェジュ 4.3事件 在日コリアンの記』と『海鳴りのなかを 詩人・金時鐘の60年』という、それぞれ1時間以上のドキュメンタリーを見つけて、時間を忘れてしまった。金時鐘その人が淡淡と力強く朗読しているいくつかの詩も聴いた。それからアマゾンで何冊かの本を注文した。
こんな週末を過してしまったのは、偶然の成り行き。私は「成り行き」に弱い。計画があっても成り行きに流されてしまう 。そして後で慌てる。
「新しい種類のカボチャだよ。ホッケイドゥーだよ。食べてご覧!」「北海道カボチャなら美味しいかもしれない。ひとつ買うわ!」
さっそく鰹節と一緒に煮てみた。まずくはない。でも「ほくほく」でも「もちもち」でもなく、ちょっと水っぽい感じで、期待したほど美味しく無い。あーあ、ほくほくの甘い栗カボチャが食べたいわあ。