ちょっと早起きして、6時過ぎにウェストビーチに行く。昨夜の満月が海に沈もうとしていた。「月没」を見たいと思った。
でも東から太陽が昇ってくると、既に淡く白っぽくなっていた月は、強い光に飲み込まれて、あっという間に消えて見えなくなってしまった。
「月没」を見ることが出来なくてがっかりしたけれど、そのあとの1時間ほどの浜辺の散歩は良かった。朝は気持ちがいいなあ!
ちょっと早起きして、6時過ぎにウェストビーチに行く。昨夜の満月が海に沈もうとしていた。「月没」を見たいと思った。
でも東から太陽が昇ってくると、既に淡く白っぽくなっていた月は、強い光に飲み込まれて、あっという間に消えて見えなくなってしまった。
「月没」を見ることが出来なくてがっかりしたけれど、そのあとの1時間ほどの浜辺の散歩は良かった。朝は気持ちがいいなあ!
庭で採れた杏のジャム、林檎のジャム、アガサ・クリスティーの本、ディズニーのトランプ、焼きたてのビスケットも少し入れて孫たちに送る。誕生日やクリスマスでなくても小さいプレゼントを送るのはお婆ちゃんの楽しみの一つだ。
娘はジャムを食べてみて、「生姜がちょっと利いてて美味しいわね!」とか「私もブラムリーの木が欲しいなあ!」とか言うかもしれない。本を見て、「アガサ・クリスティーは Aki ぐらいの時に夢中になって読んだわ。緑さん覚えていたのね!」と言うかもしれない。「覚えているわよ。朝ちゃんの猫はポアロという名前だったし、ニワトリはミス・マープルだったもの。」と私。
今になってわかる。孫たちへのプレゼントは娘へのプレゼントでもあったのだ、と。
超簡単で、ふわっとして、青リンゴの味が爽やかで、スッキリ感のあるデザート。
4、器に分けて入れ、冷たく冷やして食べる。飾りは(何でもいいけど)葡萄と小さく焼いたビスケット。
門のところにある大きなリンゴの木。ブラムリー・アップルはクッキングアップルで、そのままでは硬くて食べられないけど、煮ると酸味があって素晴らしい。
ポッサムと鳥たちが(虫ももぐり込んで食べる!)喜んで食べている。私も手の届くところのものを少し収穫してジャムにする。
「Happy New Year! 夕方、海に散歩に行かない?」というメッセージが入る。「Happy New Year! いいわよ!」とすぐに返信する。
ウェストビーチで車を降りたとたん、昔の生徒にバッタリ。「Midori!」「・・・!」「サーシャです」「ああ、サーシャ!」泳いできたらしく髪が濡れていて、体にバスタオルを巻きつけている。3人兄弟の末っ子だった。二人のお兄さんは演劇がずばぬけて上手だった。20年以上前のことだけど、昔の生徒に会うほど嬉しいことはない。
久しぶりの海だ、波だ、ああ、海は広いなー、空は大きいなー、この空気、この光、この色!水平線を左から右へゆっくり目でなぞって、深呼吸をする。
風に乗って、クルクルクルクルクルっと風車のように回りながら砂浜を転がっていく、生き物のような枯れ草。貝殻や小石・・・やがて穏やかな日没。そのあとの淡い空の色。シルエットになった鳥たち。なにもかも美しい。
小泉英政さんの、最近の詩の中の、言葉を思い出す。
あまりにも人を恐れないので皆んな驚いた。「この鳥の名はロゼーラ?」と誰かが聞いた。「いやちがう、レインボーロリキートだ」と他の人が言った。
するとまた別の人が「名前は ”スクーター” だ」と大声で言った。その人は公園の門のところに張り紙があったのを突然思い出して電話番号を見に駆けて行った。そして「スクーターに間違いない」と言って飼い主に電話をかけた。「あなたが探しているスクーターが今ここにきています。ページ公園のテニスコートのところです。」
ところが彼が電話をかけている最中に、スクーターはお腹がいっぱいになって満足したのか、ヤバイ、連れ戻されると思ったのか、食べるのをやめてパタパタッと飛んでいってしまった。電話をかけていた人は慌てて「もしもし、あれ!、あー、すみません、今、飛んでいってしまいました!もっと早く連絡すれば・・・」
皆んなが「残念だったね」と言い、「スクーターは自由でいたいのよ」と私が言った。
私が退職する前後の6年間ほどは、学校の「暗黒時代」だった。新しい校長は全てを一新して ”自分の学校” にするつもりでカリキュラムを書き変え、多額の借金をしてモダンな建物を建て、長く使われた木の机を ”IKEAの新品”に変え、ソファーやコーヒーメーカーを入れた職員室はホテルのロビーみたいになった。気に入らない教師はこじつけた理由で不当に辞めさせた。衝突を避けて黙って辞めた教師もいた。政治家のように巧みに嘘をついて理事会を丸め込んだので、彼女の雇用契約は2度に渡って更新された。職員たちは分断されて疑心暗鬼になり、何かあった時のために密かに「私立学校教師組合」の会員になった。
私たち、もと教師は連盟で何度も理事会に手紙を書いたけれど、ほとんど効果はなかった。しかしそれでも粘り強く行動し続けた人たちがいて、校長はついにヤバイと思ったのか、休み中に荷物を纏めて挨拶もせずに学校を辞めた。側近以外は、誰もが喜んだ。
独裁校長が出て行ってから一年近くになる。先日、校長代理と理事会の新しい代表が、「過去にあった学校と理事会の間違いを認めて謝罪をしたい」と言ってきた。学校の近くの湿地帯公園に、もとのスタッフ25名ぐらいが集まった。真っ青な空と明るい日差しとそよ風の中で、心のこもった謝罪とこれからの決意が表明された。私たちはその誠実な言葉と勇気ある行動を嬉しい気持ちで受け入れた。愛する学校と生徒たちの為に。
沼地の石の上で羽を広げたまま、じっと動かない水鳥がいた。Cormorant (鵜)だそうだ。濡れた羽を乾かしているんだそうだ。傷ついた同僚たちの涙も少しは乾くだろうか。