職場で昔の生徒達の顔を見ることが出来るのは本当に嬉しい。どの生徒も優秀で素敵で惚れ惚れする。
職場で昔の生徒達の顔を見ることが出来るのは本当に嬉しい。どの生徒も優秀で素敵で惚れ惚れする。
卒業生が(先生として、または父母として)学校に帰って来てくれることほど嬉しいことは無い。帰って来るということは、自分の受けた教育が良かったと思っているからだ。この学校が好きだからだ。
そうだ、これからは、帰って来た生徒達が学校を守っていくに違いない。そんなことを考えて何だか幸せな気持ち。今教えている生徒たちの一人でも二人でも、またいつか帰って来てくれたらいいなあ・・・。
ソンニャは、もう長い間バイオリンを教えている。授業や劇などにも関わって既に大きな存在だけど、来年からは正規の音楽の先生として働く予定。実は息子が高校生の頃、大学生のソンニャにバイオリンを習っていたことがある。20年以上経った今、孫の李駿がソンニャにバイオリンを習っている。そして私はソンニャの息子のフィンに日本語を教えている。李駿とフィンは同じクラスで仲良しだ。
エリースは、小学校の時から茶目っ気のある活発な女の子だった。高校では日本語を選択した優秀な生徒の一人。卒業を前にエリースは親友を、私は大事な生徒を交通事故で失った。旅行をしたり水泳のコーチをしたり大学生のユニオンで働いたりしながら教職過程を終えると、スポーツの先生として学校に帰って来た。この5年間、エリースは文句無しに素晴しい同僚だ。先日はエリースの妹のミアが可愛い赤ちゃんを抱いて現れた。
ラファエラは、この二月に美術の先生として帰って来た。建築を2年間勉強した後、諦めきれずに美術を専攻した。三人姉妹の末っ子で、弟がいる。四人とも1年生から12年生まで日本語を教えたから、ラファエラの家族との付き合いは長い。「絵を描きたくなったら、いつでも美術室に来てね」と言ってくれる。
エリース
両親と共に逮捕されたユダヤ人の少女セーラは、収容所を脱出していた。ある女性ジャーナリストが、セーラがどうなったか知りたいと思って調査を始める。脱出後のセーラの物語と、セーラを追っていくジャーナリスト自身の物語とが交互に語られ、交叉する。二人の女性の思い掛けない「繋がり」が興味深いし、映画はとても良かった。タチアナ・ドゥ・ロズネーが書いた「セーラの鍵(彼女の名はセーラ)」を読んでみたい。
友達のGさんが「面白いよ」と言ってDVDのコピーを持ってきてくれた。たいていのコメディーは(可笑しく無くて)笑えないけど、こ の映画は気持良く笑えて泣けて温かい気持になった。笑うのは心の薬になる。
ニューヨークの外れのシティー・アイランドで、イタリア系 の家族が、皆それぞれ何かしら秘密を持っていて、ぎくしゃくしながら荒れた毎日を送っている。でもそんな秘密はバレてしまえば取 るに足りない何でもないものになる。家族の絆は強い。当たり前のことだけど、コメディアン達(家族のメンバー)が、大真面目なのが可笑しい。大真面目の演技が上 手い。
土曜日の朝は迷わずセントラル・マーケットに行く。8時前だったら家から10分ちょっとで行ける。いろいろな食べ物を見て回るのは時間を忘れるほど楽しい。セントラル・マーケットが無かったら、アデレードに住む価値は半減すると思う。
今日は「スメリー・チーズ」という店で、直径3センチほどの可愛い円筒形のチーズに惹き付けられた。少しだけ熟成させた山羊のチーズに、ビオラの花びらやハーブ(ローズマリーやタイム)がくっ付けて飾ってあって「ルビー」という名前。何て綺麗!暫く眺めていて、やっぱり買ってしまった。「ウッドサイド」というアデレード丘陵地帯の小さな町で出来たもの。パンに載せると紫や緑の色が鮮やかで美味しかった。でも残念なことに、ハーブの香りが山羊のチーズの香りと競争して勝ってしまった。
マイク・リー監督。物語も筋も無い、中年を過ぎたカップルの日常を淡々と描いただけの 静かな映画。トムとジェリにはそれぞれの仕事 (地質学者とカウンセラー)があり、一緒に食べて一緒に寝て、週 末には野菜作りを楽しんで、時々子供達や友達が訪ねて来る。ごく普 通に暮らす幸せ。幸運な人達の幸せ。幸せな人達の表情は穏や かで美しい。
幸せなトムとジェリの周りには、幸せで無い人達がいる。カウンセ リングを受けに来る人達、いつまでも相手が見つからない女性、食べ てばかりいる肥った男性、連れ合いを亡くした老人・・・・不幸せ な人達は何故かいつも独りだ。それにしても、独りの人達があまりにも寂しく惨め に描かれているのが気になる。逆はどうだろう。独りの人は必ず不 幸せだろうか?結婚している人は必ず幸せだろうか? 映画は一部の 真実を伝えているだけ。しかしこの真実は確かに大きい。